【特集】砥部焼窯元 きよし窯

カトレアの花、ブラックベリーの実、タイルのようなモザイク柄……伝統的な砥部焼とはひと味もふた味も違う器を生み出しているのが『きよし窯』の山田ひろみさん。女性の砥部焼界への進出を切り拓いてきた先駆者でもある。

「焼き物って最後は窯の中で仕上がるので、自分の目の届かないところで完成形が決まるんです。それがきっと一番面白い部分であり、つらいところでもあると思います。私は器に絵を描くとき、自分の気持ちを一番大切にしています。絵は描く人の気持ちが表れるもの。手が届かないところで仕上がるとしても、楽しい気持ちで心を込めて描いていれば、それは必ず焼き上がりに反映されるということを実感しています」。

山田ひろみさんは佐賀県出身。幼い頃から絵を描くことが好きで高校卒業後は九州造形短大でグラフィックを学ぶ。そこで出会った公夫さんと結婚し、砥部に嫁いできたことがこの世界に入ったきっかけだ。

「昔は漫画家になりたいと思っていたほど、小さい頃から絵を描くことが大好きで。好きなイラストをたくさん描き写したり、友達の似顔絵をよく描いたりもしていました。しだいに「絵に携わる仕事をしたい」と思うようになり、グラフィックコースのある短大へ進学。卒業後は佐賀のデザイン事務所で数年働いて、結婚が決まり砥部へ越してきました。生まれも育ちも佐賀県でしたが、短大に通っている間からデザイン事務所に勤めている頃も「私の居場所はここじゃない。どこかにもっと大きな世界があるはず」という気持ちはずっと胸の中にありました。目に見えるわけではなかったけれど、何か感じるものがあったんでしょうね」。

—愛媛に来てからは窯元のお手伝いとして下働きから始めたひろみさん。数年が経ち徐々に生活に慣れてきた頃、ひろみさんの初めての作品となる“砥部焼のお雛様”が誕生する。—

「焼き物のことが何も分からないままこの世界に入ったので、まずは水拭きや掃除などの下働きからスタート。そしてそれと同時に奥さんとして家事もこなさなければいけない。初めてのことに追われる日々でした。そうこうしているうちに3、4年が経ち、ようやく生活や風土に慣れてきた頃、「私は一生このままでいいのかな」という思いが沸々と湧いてくるようになって……。やろうと思えば何かできるはずなのにまだ動けていない自分に対して、もどかしさを感じていました。ちょうどその頃に、このお雛さんが生まれたんです」。

—砥部焼でできた雛人形はまったく出回っていなかったという当時。ひろみさんが手がけたお雛様がテレビで放映されたことをきっかけに全国から欲しいという声が多数寄せられることになる。—

「お雛様は私が育った家にはなくて、ずっとどこかで憧れを抱いているような存在でもありました。あるとき成形前の土を見て、手でこねれば形になるものが目の前にあるんだって気づいて。20代になった今、自分のためにお雛さんを作ったら楽しいかも! と思いついたんです。ろくろは出来ないからお団子のように手で丸めて形を作って。頭の中で想像したものをすんなりと形にできたのは、今までたくさんデッサンをしてきたことが役に立ったと思います。はじめの頃は仕事の合間にちょこちょこ作るぐらいだったのですが、完成から3年ほど経ったある日、全国放送のテレビでたまたま取り上げてもらう機会があったんです。驚くことに放送後は全国から問い合わせが相次いで、電話が鳴り止まないくらいの状態に……!」

「待ってでも欲しいと言ってくださる方がたくさんいらして、とにかく必死で夜中までひたすらお雛さんを作るという生活が続きました。正直しんどいと感じるときもありましたが、お礼の連絡や手紙が届くととっても嬉しかったのを覚えています。今振り返ると、このお雛さんが私の原点。仕事の大切さや気持ちのいれよう、楽しさ、つらさ、すべてを教わりました。これがあったから砥部焼をぐっと身近に感じられて、砥部焼でも自分が表現できるんだということに気がつけました。お人形だけじゃなく食器もやってみよう、もっといろんなことに挑戦しようと思えたのもお雛さんのお陰ですね」。

その後もひろみさんの手がける砥部焼はどんどん開花していく。当時はまだ稀だった、砥部焼らしさを覆すようなものにも果敢に挑戦していったという。

「当時の砥部焼は白生地に青色の絵付けがほとんど。時々鉄を使った黒っぽい色も見かけましたが、それだけしか色がなかったんです。私はグラフィックを学んでさまざまな色彩に触れていたので、これしか色がないの? と正直驚いていました。それから徐々に青以外の色を使った絵付けを考えるようになって……砥部焼に“色ものの世界”をつくりたかったんだと思います。ちょうどそうやって私が新しいものを作ろうと試みていた時期が、バブルが終わって砥部焼界に変化が出はじめた時期と重なっていたように思いますね。今は約80軒の窯元がそれぞれとても個性のある器を作っていて、それが砥部焼をとても豊かにしているなと感じています」。

—現在の『きよし窯』の器は花や植物をモチーフにしたものが多くそろう。それぞれの柄の入れ方や色み、どんな技法で表現するかはすべてひろみさんが考えている。—

「今の時代に合うような、ポップで可愛い絵付けを多く取り入れています。昔はなんでもデザイン化しようという気持ちが強かったけれど、あちこちに描きすぎるとごちゃごちゃして見えるもの。器の余白を活かして絵をワンポイントで入れて、さりげなく華を添えるような雰囲気に仕上げています。モチーフの着想は、庭に植えている花たちからもらうことも多いですね。カトレア柄は和紙染めを使ってエッジをやわらかく出したり、ブラックベリーのシリーズは絵の具を重ねて奥行きを出すブラッシング技法で仕上げたり。どんな色を使ってどう表現するのが良いかはいつも探求しています。昔の砥部焼はぽってりと厚みがあって絵付けも似た感じのものが多く、“飽きがこない”というのが代名詞だったんですね。今の砥部焼はお客さんから「可愛いね」と言われています。“砥部焼は可愛い”、それがどんどん認知されていることが、私はとっても嬉しいです」。

砥部焼を広めていくために結成された女性作家グループ『とべりて』の代表でもあるひろみさん。これからは産地へ貢献して、恩返しをしていきたいと語る。

「昔は特に、砥部焼は男の世界。なんでも最終的に決めていくのは男性だったんですね。ただ時代とともに砥部焼が少し落ち込んできて、これからは女性の意見も積極的に取り入れたほうがいいんじゃないかなと思い、私の発案で女性作家グループ『とべりて』をつくることにしたんです。産地をPRするためのグループとして結成して、いろんな企業とのコラボレーションや取り組みを続けてきて今年で9年目になります。やれるかな? 続けられるかな? とみんなで悩んだこともあったし、それぞれの家や家庭のこと、女性だからこそ背負うものもあり、大変なときもありました。でもこの7人で産地のために力を出し合って頑張ってきたという経験が今、自信や行動力、発信力にもつながっていると思います。結成した頃にメンバーから言ってもらったのが「女性でもこうやって活躍できるんだという姿をひろみさんが見せてくれたから私たちも頑張ろうと思えたんよ」という言葉」。

「それまでの私はとにかく無我夢中で単に自分のために突き進んできただけだったので、周りが自分のことをどう見ているかは考えたこともなかったんです。そういう思いで私のことを見てくれていたんだとそのとき初めて知って驚きましたし、嬉しかったですね。砥部に来てから今までで、お雛さんをやって、色ものができて、陶板にチャレンジして、産地を想うようになって……。若い頃は自分の居場所を探していましたが、あのとき絵を勉強した理由も、砥部に嫁いできたことも、すべての点がつながって私の人生になっているんだなと改めて感じています。これからは私を育ててくれたこの産地に恩返しをしていきたい。私たちが今頑張って砥部焼を盛り上げて、次の若い世代がすんなりと受け継いでいける土台をつくりたい。それが私が示せる感謝の気持ちだと思っています」。

—砥部焼界に女性の意思とアイデアを吹き込み、今も第一線で輝き続ける山田ひろみさん。彼女がクリエーションする砥部焼は、どのように未来へ続いていくのか。今後の活動に大いに期待したい。—


きよし窯
住所:愛媛県伊予郡砥部町五本松364
電話:089-962-2168

Profile:山田ひろみ(佐賀県出身)
九州造形短期大学グラフィックコースを卒業後、デザイン事務所を経て結婚を機に砥部焼の世界に入る。現在は日用食器から陶板壁画まで幅広く制作。女性作家グループ『とべりて』代表として砥部焼の魅力を広める活動も行っている。

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